ななころびやお記

27歳国語科。「ことばを介して仲間とつながる」をテーマに日々奮闘中。国語の授業、中学生とのクラスづくり、部活運営、ちょっとした工夫などを中心にゆるゆると日頃の思ったこと、気づいたこと、思いついたことを書き綴っていきます。

学びある定期考査にしたい。「書く」力を通して伝えさせる発問を求めて。

定期テストの採点をしていたらこんな時間になってしまっています^^;

明日起きられるか不安に思いながらも、今浮かんだフィーリングを書きとめようと思います。

 

学校の定期考査だからこそ・・・

この分野、人によって意見が分かれるところであると思いますが、あえてはっきりと自分の考えを述べます。

定期考査は「学校の定期考査だからこそ問えること」があると思います。

今回は、私が、少し、突飛な問題を出している意図を語らせてください。

 

 

あなたがこの詩を朗読するとしたら・・・表現に関する設問

「あなたがこの詩を朗読するとしたら、どのような工夫をして朗読をしますか。工夫を一つ挙げ、その工夫をする理由を書きなさい。」

という問題を出しました。

そんなの、わざわざテストで聞かなくてもいいことかもしれません。

私も授業時間が無限にあればもちろん授業で実践させます。

しかし、授業時間から、泣く泣く表現活動を削ったときに、そのまま放置したくないという理由も込めて出しました。

 

テストで出すことにあえての意味を見出したというよりは、

テストだって学習活動なんだから、このタイミングで学びがあってもいいのではないかしら?という意図です。

 

そして、テストならではの集中力と匿名性から、なかなか面白いアイデアが上がりました。

今後に活用できないものかとわくわくしているところです。

 

ダイコンを活用した料理を三つ・・・授業のねらいと呼応した設問

「ダイコンを活用した料理を、授業の「話し合い」を思い返しながら三つ書きなさい。」

という問題を出しました。

私が生徒でも「なにこれ」と思うかもしれません^^;

なぜこんな問題を作ったか。

それは、授業の中で大切にしている事柄に大きくかかわっているからです。

 

今年度初めての説明文教材は「ダイコンは大きな根?」でした。

その中で繰り返し語ったことが、「説明文こそ、日常生活と結び付けて話し合いなさい」ということ。

机上の空論としてとらえるくらいなら・・・頭の中で処理して、役立てずそれで終了ならば、

説明文を読む意味はないし、

説明文を書いた人の意図からも外れてしまうように思います。

 

「あー、ダイコンが辛いときと甘いときとあるのは、こんなことも関係してるのね!」

ということを感じてくれたら、ひとつ役に立ちます。

「ダイコンといえば、ブリ大根でしょ」

とか、

「大根おろしを辛くしたいとしたら・・・」

なんて、考えることも価値ある思考だと思うのです。

 

だから、今回もこんな設問を作りました。

ねらいが達成できたかどうかが、評価規準になるのなら、こういうのもなしではないですよね??と思うのですがいかがでしょう。

 

「友達といえるもの」とは何か・・・価値観を語る設問

こちらは『花曇りの向こう』からの出題です。

「友達といえるものはまだできていない」

・・・私が、一番本文中でひっかかった言葉です。

「そもそも、友達といえるものって何なのか。」

大人でも回答に迷います。

 

しかし、今回はあえてこの部分を出題しました。

なぜか。

それは、「いま、ここ」の自分の思いを綴るという体験をしてほしかったからです。

価値観を表に出すというのは、勇気がいること。

でも、その勇気を逃げずに出すという姿勢を培ってほしいのです。

 

もちろん、価値観を否定することはできないし、したくもないので

「そういう考えもあるのか」と受け止めます。

むしろ、子どもの言葉にはっとさせられることも多いくらい。

 

そこで、「その言い方だと上手に伝わらないよ」「もっと言い伝え方があるよ」

ということを基準に採点します。

無論授業でこそ、そういったことに気付きをもたらすべきだということは私もわかっています。

しかし、限られた授業時間だけではもったいない、テストの時間にだって、学びがあってほしいと思うのです。

 

三つの例を挙げてみて思うこと

念のため…

こんな問題は1/5に満たない程度にとどめています。

私の定期考査は、変な問題になってきていることは確か。

やりすぎないように心掛けていかなくていけないともおもっています。

(「変であること」が自信、ステータスという人間を目指しているわけではないので笑)

 

入試のような問題を作るほうが、遥かに楽で、採点もすぐ終わります。

生徒にとっても、効率的に点数をとれる人間に育つかもしれません。

私のような、テストは自己満足だといえばそれまでです。

 

かといって、無難に入試をクリアできる力があれば、それでいいのでしょうか。

私は否だと思います。

学校教育とは、点数をとるためにあるわけではありません。

 

みなさんはどうお考えですか。

この方向性、行き過ぎると単なる危険思考かもしれないので、節度はわきまえます。

子どものためにならないと、いずれ思う日が来たらやめるかもしれません。

でも、「いま、ここ」の私は信念をもってテストを作っています。