ななころびやお記

27歳国語科。「ことばを介して仲間とつながる」をテーマに日々奮闘中。国語の授業、中学生とのクラスづくり、部活運営、ちょっとした工夫などを中心にゆるゆると日頃の思ったこと、気づいたこと、思いついたことを書き綴っていきます。

3分で読める、アドラー心理学に学ぶ、「自立」を目指す教育者の考え方。

「嫌われる勇気」を咀嚼しながら、日々の教育実践にすぐに生かせることはないだろうかと考えます。

まだ、理解すべきことの1/10000も到達していませんが

自分がクリアしたことを明確にする目的も込めて、3つほど。

 

「自立」させるために「貢献感」を持たせることが卒業(クラス解散)までの目標

学校という単位を一つの視点から細分化してみます。

学校>学年>学級>班>4人組>2人組>「自分」

という具合に、あらゆる括りの中での自分がいます。

卒業(クラス解散)のその日に、どこまで「貢献できている」と胸を張って言える子どもに育てることができるでしょうか。

 

もちろん、役職で決まることではありませんが、たとえ話として考えましょう。

いきなり入学したての1年生が生徒会長をやることはできません。

 

しかし、隣の人に信頼されて、それが4人組に認められ、班でもいつしか班長をやっている。

すると、学級の代表になってみようかなと意欲がわいてきて、学級代表の中のまとめ役に挑戦した。

こんな具合にステップアップの過程がどこかにあるケースも多いと思います。

 

こんな視点をもって長い目で成長を見守ってみたら、いずれ「自立した義務教育修了」というスタートを切らせてあげられるかもしれません。

 

「承認欲求」から一歩踏み出したとき、新たな世界が拓ける。

「先生、私すごいでしょ。」

「先生、僕こんなにいい点とったんだ。」

「先生、こんなに頑張ったから、成績上げてよ。」

ひっついてなついてくれる生徒は数多くいます笑。

 

しかし、これらは、私たち教師目線で考えると、「承認欲求」を満たしているにすぎず、教師という「他人」から分離できていない状況を作っていることになります。

この状態をかわいいと思って、手中に収めたままでは、その先その子の成長はありません。

「課題の分離」ができない生徒を生み出してしまうのは理想としません。

補助輪がなくなった瞬間、前進し続けられるかどうかを考えながら、援助→支援→見守るという段階を踏んでいきたいものです。

 

「よくできたね」から「ありがとう」へ。評価から勇気づけへ。

教師が評価するのは、タテの関係。

教師が感謝するのは、ヨコの関係。

 

タテの関係では、自立は見込めません。

ちょうど、「上司(先輩)がいなくなって、いざ決定権が自分に回ってきたらうまくいかない」という人を作る教育の典型だと思います。

 

「ほめて伸ばす。」「叱って伸ばす。」という物差しで生徒を見ている瞬間、自分はまだまだ奢っていると感じざるを得ません。

 

と、自分で書いては見たものの。

うーん、アドラーってやっぱり小手先で考えるようなスキルではないことはたしか。

なんてったって厳しいのです。

 

でも、自分にはできないと思い込んだらそれは、自分自身の意思の弱さであって、目指すならとことん言い訳は排除できるはず。

自分の中で哲学をもつって大切なのかしら??と思ってきたところです。

2/10000理解した人間になれるように、もう少しじっくり考えてみたいところです。

 

いかがでしたか?^^

ちょっと楽しくなってきたので、他の書籍にも手を伸ばそうと思っています。